会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

私は今日も生き延びる

 私はよく「結婚をしてから自由がなくなった」と愚痴をこぼす。それはそれで本当にそう感じているからだ。
 例えば仕事帰りにぶらぶらと本屋を徘徊してから帰れば「遅い」と怒られる。妻は夕飯を作っていて、少しでも早く帰って手伝うことを求められるからだ。
 一人の時間はとにかくない。一人の時間が欲しい。なぜなら自由だからだ。


 仕事に関しても、やりがいのなさに思うことはある。毎日同じ場所へ通い、時にはすることもなく、時間を浪費するのみの一日になることもある。
 しかしそういった多少の自由時間が大事だったり、少ない収入でも生活をする分には十分だったりで、転職はあまり考えていない。


 文句は垂れるのだけど、私はなんだかんだこの生活が大事なのだ。
 妻がいて、仕事があって、職場の人間関係は比較的良好で、忙し過ぎない。趣味のカメラを触ることもできる。
 そして何のためにこの生活を大事に思っているのかと言えば、ずばり「子どもを育てたい」ことが第一の理由だ。


 我が家にはまだ子どもはいない。しかしお互いに意欲はあり、計画を立てながら行動している。
 最近私自身に父性が芽生えた。
 私は以前まで、どうにも小さな子どもは苦手で、周囲にそのような存在がいた場合、避けていた。どう接していいかわからないし、怖かった。


 子どもは、いつか私が知らない世界を知ることとなる、次世代の担い手だ。いずれ私が老いたとき、彼らに世の中の最先端を教えてもらうことだってあるだろう。
 彼らがこれからの世の中を渡りやすくすることが、私のすべきことではないか。
 ほんのささいなことでもいい。例えば優しい大人を演じることで「良い大人もいる」と思ってもらえたら、それでいいのだ。子どもが知らない「楽しいこと」を教えてあげるのもいい。
 そう思ってから、私は子どもに対して「普通に」接することができるようになった。


 私だって大人からたくさんのことを教わったのだ。大人はそんな意識はないかもしれないが、私はそう思っている。世の中のちゃんとした大人が私を育ててくれた。
 自分の子どもを育てられたら一番いいのだが、当然よその子であってもかまわない。
 私の存在を、面影を、未来に生きる誰かが覚えてくれていたら、私はこの世に何かを遺せたことになるだろう。


 だから、今の生活がつまらないと感じることもあるが、そのことにこだわる気はないのだ。
 金が何だ、自由が何だ。私は今日も生き延びるのだ。

妄想が世界を救い人を自由にするんだよ

 君が「許さない」と思っている会社に、僕はまだ勤めている。
 君にひどいことをしたやつも何食わぬ顔で前と変わらずにいる。
 君が「許さない」とまで思う場所から僕は出られずにいる。
 くたくたになっても働き、嫌なやつにも笑顔で応じ、カメラを持ち出す暇のない日々を過ごす。
 給料は服を買うか映画を観るかの選択が必要なくらい低い。(どちらもする、という選択は金銭的に苦しい)


 そうまでして守りたいものは何なのだろう。
 自由に使える時間も金もないのに。
 家庭?少ない金?
 まあ、そうなのだ。何となく続いている生活と、細々と生きるための金が、僕には何より大事なのだ。それを捨てる勇気は起きない。


 そんな生き方を考えて嫌気がさしても、本当は些細なことだから変える必要を感じていないのかもしれない。つまらないと思っても、何となく続けることができるのだから。それより生き方を変えようともがき生活が変わってしまうリスクの方が重たく感じるのだ。


 変わることは簡単?
 いや、難しい。
 仕事を辞めようと考え、妻に話せば、私がその考えを諦めるまで説教は続いてしまう。そのうち妻の両親も登場し、圧力がかけられ、結局折れなければならない。苦痛は大きい。
 話さずに辞めたとすれば、尚更だ。離婚アンド慰謝料請求により、今以上に生きていくのが困難になる。
 これらのことをちょっと考えるだけで心が挫けてしまう。その先に幸運な未来が約束されているわけでもないし。


 そんなわけで、大事な友達が嫌っているこの職場を、僕は離れられない。合わせる顔がない。会う事もないと思うと、ちょっと寂しい。異性の友達だからね。
 結婚したから自由がなくなったのかもしれない。だったら、それはそれで仕方がない。


 仕方がないんだなあ。


 ただ心だけは自由であると僕は思う。妄想力だ。何一つ身動きが取れなくても、気持ちいいことを考え妄想に浸れば、とりあえず楽しい。金も使わずに済む。時間だってそれほど必要ない。
 妄想こそが自分を救う遊びなのだ。希望が叶わないなら、妄想に浸れ。妄想ついでに瞑想&筋トレだ。精神と肉体の両方をチューニングするのだ。これらの行為を行い、一体誰に迷惑がかかるだろう?
 ただし妄想の中身はしゃべらないことだ。現実にどんな影響を与えるかわからないから。そっと自分の中だけで温めるのがいい。


 夏が終わると、どこか感傷的になってしまう。食欲もあまりわかず、食欲の秋とは逆行気味だ。
 本でも読んで、一瞬でも楽しく生きましょう。

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金くれよ

 会社員をしていれば最低限の生活は送れるようになっている。
 結婚前は子ども部屋おじさんとして生活をし金を貯めていたし、別に親から金を借りたりもせず給料から諸々の支払いを済ませることができていた。
 結婚後だって細々と貯金を積みながら生きられている。


 だけど何か趣味を継続しようと思うと、途端に金が足りない現実に直面する。趣味でなくても、好きな物を選ぼうとすれば金は足りない。結局限られた中から選ばざるを得ず、金銭的な不自由は常に感じるところだ。
 車は5年前に買った軽自動車に乗り続けている。パソコンは最低限Officeが動く10万円以下の物を使う。持っているカメラは型落ちの入門機だ。
 一番いい物を、とは言わないが、手にすることができる物のランクが低過ぎでは?


 さすがに不満が溜まってくるので、趣味(にしたい)カメラは少し背伸びをして最新モデルを手に入れようと画策している。

 上記のモデルは10万円以上する。なるほど、持っているパソコンよりも高いときた。
 確かに高級で購入するためには長期の貯金が必要であり、そこまでして必要な物なのかと疑問がわくかもしれない。
 しかし、低クラスの物で満足しようとするのはいい加減うんざりなのだ。


 現代社会は情報が溢れており、今自分が手にしている物が一体どの程度の価値があるのかについて簡単に知ることができてしまう。同時に段違いに高い性能の商品の情報も得ることで、例え頑張って手にした物でも、時が経つにつれ陳腐なものに見えてしまう。
 当然壊れたわけじゃないし、何が悪いわけでもないし、愛着はあるのだけど。
 何せスタートが「我慢して手に入る安い物を」というところで、いずれはもっと良い物に乗り換えるつもりだったのだ。最新の製品情報を得ることで、乗り換えたくなるまでの期間が少し短くなってしまうだけのことである。


 10万円あれば良い物は大体手に入る。私のようなしがない会社員にとって、10万円貯めるのにどれくらい時間がかかるだろう。給料やボーナスは家のことに使うためあてにできない。手元に残るのはいつも小遣いの1万円とちょっとなのだ。好きな物を買ったり飲みに出かけたりすることは気軽にできることではない。
 私のような低所得者層の暮らしなんて所詮そんなものである。最低限の暮らし&我慢だ。消費によって快感を得ることは叶わない。


 そんな苦しい生活をしていて、じゃあ何が楽しくて生きているのか。そんなこと簡単である。私たちは片方の手と股間を組み合わせるだけで快感を得る行為を最初から知っているのだから。

災害レベルの暑さだ

 連日猛暑が続いている。日中35度を越えることは当たり前だ。エアコンの効いた部屋で作業を行った後、一歩外へ出るとあまりの暑さに気分が悪くなりそうだ。30度を越える気温ではもはや行き場はない。


 最近Instagramにハマり、毎日写真を投稿していた。基本的に毎日スナップを撮り載せるか、撮りためた旅行写真を載せていた。しかし暑さで写真を撮る気力も失せ更新が止まってしまっている。撮りためた写真も、載せることができそうなものは全て載せてしまった。
 ブログと違って更新が楽でいいなーなんて気持ちもあったが、そもそも載せる写真が撮れなければ更新はできない。ひとつの更新には写真を撮る時間も含まれなければならない。とすると、意外と時間を取っていたのかもしれない。
 そうなれば涼しい部屋で文字を打つだけのブログの方が更新しやすいと言えるのだ。


 外を眺めると、空は青く晴れ渡っているのに、気持ちよさが一切感じられない。外の空気はもわっと熱く、息苦しい。エアコンの効いた部屋から外へ出るのに勇気がいる。ひんやりとした気持ちのいい環境からはなかなか抜け出せない。この暑さはもはや災害である。


 冬は積雪、春は花粉症、夏は猛暑、残る秋は気分が落ち込む季節と、私は一年中生き辛さを感じている。
 気持ちはアウトドアでたくさんの場所へ訪れたいと思うのだが、現実はそう簡単にいかないのだ。
 私はひ弱なのだろうか。
 雪が積もれば4WDの車を走らせイルミネーションを見に行く?
 花粉症なんてアレグラ飲んで耐える?
 夏はアウトドアの季節?
 秋は運動に食事に楽しさ盛沢山?
 ばーか。4WDの車なんて持ってないし、花粉症のくしゃみで肋骨にひび入ってる疑惑あるし、暑さには単純に弱いし、秋は憂鬱なんだ。


 もしかすると日本は本当に破滅へと近づいているのかもしれない。じわじわと。
 「今年は何とかだね」なんてのんきに話しながら、去年も同じことを話していたことさえ忘れて。
 前は夏の気温が32度に達したことで騒いでいなかったっけ?
 今は35度が当たり前だ。32度だとまあ暑いが、逆に気温が落ち着いてきたと思ってしまう。


 こんな暑さでは日中の活動ができないので、いっそ活動停止して夏が終わる頃に目覚めたい。

お昼寝をしなくても一日保てるようになった

 うつを治療し職場復帰してから一年以上経った。
 今のところ仕事の方は順調で人間関係も良好、職場での問題は一切ない。
 ただ眠気の問題があり、昼寝なしではとても働けない状態が続いていた。


 先日かかりつけの医師に日中の眠気について相談したところ、二種類服用している薬のうち片方が半分に減らされた。
 「そんな量減らしたところで改善されるわけないだろう……」
なんて思いながら指示に従ってみた。


 定められた量の服用を開始して数日経つと、なんと日中眠気がほとんど感じられなくなった。
 いや、厳密には多少眠気は感じるのだが、力尽きる感覚や居眠りといったことが一切なくなり、集中力が保てるのだ。


 薬が減った!眠気も消えた!バンザイ!


 何が嬉しいって、以前感じていた眠気の原因が自分の怠け癖によるものではないとわかったことだ。
 単純に薬が効き過ぎていただけで、自分の性質のせいではない。


 妻から時折
「どうしてそんなに寝るの?バカなの?」
と責められていたこともあった。なので、
「薬が減ったら眠気が消えたよ。今まで眠かったのは薬のせいだったんだ」
と意気揚々と報告することができた。


 もう、何か異常がある毎に自分の精神が悪い、気持ちの問題だ、なんて考えることはやめよう。
 「自分を正当化してたら何も変わらないよ?」
という声も聞こえてきそうだが、反省は失敗したと感じたときだけでいい。
 普通に生きてて昼も夜も爆睡してそれでも眠いのは、一体何を反省すればいい?


 とにかく日中の眠気が消えたので、行動量が体感三割増しだ。
 昼に会社を出て写真を撮りに行くこともできるし、読書もできる。
 仕事も効率が大分上がり、万全な状態と言っても過言ではない。


 ていうか、病気じゃない人は誰もがこんなバイタリティを持っていたのか。
 この歳になってようやく他人と同じスタミナを持つのは大きな痛手だ。
 これからは少しでも遅れを取り戻せたらいいと思う。


 ちなみに性欲の方も戻ってきた。
 戻ってこなくていいくらい性欲は強かったのだけど、残念ながら戻ってきてしまった。
 すぐにムラムラしてしまうし、勃起もする。


 だが薬はまだ服用しているので、将来的にはもっと上がるのだろうか。
 困った。

恨んだり許せなかったりする自分を許した

 色んな人間と関わると、馬が合わない人間というものはいるものである。
 馬が合わない程度であればいいが、ちょっかいを出されたり、露骨に嫌がらせを受けるがある。


 先日私は会社の飲み会に参加した。
 そこには同い年の社員が一人いた。
 私はこの会社に彼よりも数年遅く入ってきたので、彼にとって私は社歴的に後輩である。
 とは言え働く部署も違えば日頃関わることもなく、既に入社から数年経っており、それほど目立つ差はないように思っていた。


 しかし彼にとっては私は絶対的に下の存在であるようだった。
 単に後輩とか部下であれば、優しく接したり温かい目で見たりするのかもしれない。
 その点において私は彼と同い年であるため、「同い年なのに後輩」と、私は彼にとってマウントが取りやすい相手だったのだろう。
 何かにつけて彼からちょっかいを出されたりハラスメントを受けたりしていた。


 飲み会自体を温和に終えたかった私はとにかく無視を決め込んでいた。
 元々彼のことは嫌いだった。
 無視を決め込むと、反応がない私に対する行為はどんどんエスカレートしていった。
 おそらく私が反応するまでするつもりだったのだろうが、最後まで私は彼と目を合わさなかったので、逃げ切る形となった。


 そのような中で冷静でいられるはずもなく、飲み会中は怒りに震え、家に帰ってからもずっと彼に対する思いに意識を向けていた。
 私が悪かったのだろうか。もっともっと無視をすればよかったのだろうか。それとも迎合すればよかったのだろうか。
 へらへら笑いながら「すみません」とか言えば彼に嫌われずに事なかれ主義を貫けたのだろう。
 だがどの考えもしっくりこず、悶々とした日々を過ごしていた。


 大人であれば相手を許す態度が求められる。
 今まで私はそう考え、穏便に事を済ますように生きていた。
 何か嫌なことをされても、笑顔で対応したり、困り果ててみたりと、衝突を避けることが一番の対応だと思っていた。


 だが今回、あまりにも彼が程度の低い人間であり、それでいて同い年ということもあって、どうにも感情の抑えが効かなかった。
 彼を低次元の人間として見るか、同等の立場の人間として見るか、彼の望むように上の存在として見るか(間違いなく上ではないのだけど)。
 低次元の人間として見るのは、私が彼を極端に見下すということで、私自身が悪いことをしている気分になる。やはりここは同等の立場の人間として見た方が良いのである。


 だとしたら、彼を許すことは出来なかった。
 子どもが親に構ってほしくていたずらをするわけじゃあるまい。
 虫けらでも何でもない同じ人間なのに、人に嫌がらせをするとはなんて愚かな人間なのだろう。


 私は彼を一生許さない。
 危害を加えるわけではないが、今後心を許す事はないし、彼と人間的なコミュニケーションは一切行わない。
 彼とは社内でやり取りをすることもないし、お互い影響力を持たないので、何も困ることはないのだ。
 会社の行事で顔を合わせることはあるかもしれないが、是非私以外の人と楽しんでほしい。
 私も行事の度に社内掲示用のスナップを撮るのだが、彼にピントが合うことは今後なくなるだろう。


 そのような考えに至ると、不思議と胸のつっかえが取れた。
 そうだ。別に人を許せなくてもいいのだ。恨んだっていいのだ。怒りを露わにしていいのだ。
 人間らしい喜怒哀楽を抱える私を私は許す。


 自分に優しくできて、初めて同じ様に他人に優しくできる。
 相手を許す前に、自分を許すのだ。
 相手のことがどうしても許せなければ、それでいい。
 自分を許せば、無理に相手を許す必要などないと気付くのだから。


 感情を表現するのに邪魔をするものは、いつだって自分を許せないという気持ちだ。
 恥ずかしいとか、みっともないとか、自分なんかがとか、つい考えてしまい感情を抑え込む。
 だがどうだろう。感情を抑え込んでいたって、他人からしたら素直じゃない人と見なされるだけである。
 いい人と思われる可能性はない。
 感情が爆発するタイプであることは容易に見抜かれ、その分距離を置かれるだろう。


 素直に感情を認め、許し、溜め込む前に穏やかに表現するのがよろしい。


 ついでに、嫌な人間に接すると、普段から周りにいる人達のありがたみが身に染みる。
 たまに怒りっぽくなるあの人も日頃は優しいのだ。基本的には良い人間なのだ。嫌なやつではないのだ。
 許せない彼を踏み台にし、私は一つ成長できた。
 彼には感謝しない。

今日も僕はネットの海に潜る

 最近Instagramに撮り溜めた写真をアップロードしている。
 せっかく撮ったのに、誰にも見てもらえないのは寂しいから、とは言えそれほどデキがいいわけでもないので、ちょっとずつアップロードしてみた。


 写真に反応するユーザーを見ていると、旅とか自由とか謳うよくわからない人たちの多さに辟易してしまった。
 反応欲しさに足跡を残しまくるユーザーが多いのはどこも一緒だ。
 本当に届いてほしい人に、一体どれだけ届くのだろうか。


 私はこの間結婚式を挙げ新婚旅行に行った。
 儀式的な行いを経ることで、私は結婚したのだという自覚を強めることとなった。
 良い式に、良い旅行であったことは間違いない。


 ただ、結婚相手を大事にするには、他の異性を相手にすることは難しい。
 友人関係を持つことさえ、同性のみに絞られてしまう。
 嫉妬なんて陳腐な感情がこうも厄介なものだとは、それほど深く考えていなかった。
 私は異性の友人と出掛ける機会があったのだが、それを諦め、家へ戻ることとなった。
 家庭の方が大事だから、だ。


 いかにその友人が助けを求めていようと、私はもう踏み込んでいくことはできない。
 男女の関係は、性的な行為に及ばずとも、生きる気力を生み出すものだと思う。
 結婚する前は多くの異性の友人がおり、楽しくやっていたのだが、今は全く会うことはなくなってしまった。


 現状、家庭を大切に守ることが現実を上手く生きる術なのだから仕方がない。
 都会だとどうなのか知らないのだが、私が暮らす場所では少しでも道を外せば生きることが困難になってしまうのだ。


 だから私はネットの海に潜り、現実ではできない自由を得るのだ。
 ネットでは多くの人に私が感じていることや見た景色を届けることができる。
 それが誰かを救うまでにはならないかもしれないが、少なくとも私の欲求は叶えることができる。
 少し有名になれたら、本当に届けたい人にも届けられるかもしれない。


 ゆくゆくは活動の幅が広がってさ、仕事以外でも人と会えて、なんか楽しくなれたらなあって思うのだけど、まあとりあえず気の向くまま活動していくしかないかな。