会社員が書く雑記

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我が子の教育方針を考える(子どもはいない)

 子どもができたらどのような教育をしようか。
 まだ子どもがいないのにそのようなことを考える。現実を見ずに気持ちばかりが先走るが、結構楽しいものだ。

 子どもにスマートフォンを持たせるのはいつからがいいか。お小遣いは毎月いくら渡そうか。もし学校でいじめが発生したらどのように私は対応すればいいのだろうか。現代社会が抱える問題は子育てに不安を感じさせる。

 きっと我が子のことだから素直に育つことはないだろう。どこかひねくれており、集合写真で一人だけ笑顔を見せない。そのような子どもに育つ可能性を私は否定できない。

 つまり私はそのような子どもだったということだ。

 中学生の頃、幼馴染の友人宅へお邪魔したときの話になる。幼馴染なので育った保育園が同じだった。たまには昔の写真を見たいということで卒園アルバムを見させてもらった。

 私が通った保育園には広場に様々な遊具があった。ブランコ、鉄棒、アスレチックのような大きな遊戯にすべり台が付いているような物(正式名称不明)などだ。子どもが遊ぶのには十分な設備である。
 アルバムにはそのアスレチックのような大きな遊具に子ども達全員が上がり撮影された集合写真が載っていた。どの子どももまぶしいくらいの笑顔をカメラに向けている。知っている友達を探しては指を差して名前を確認したりした。

 指を差しながら遊具の端の方までいくと、昔から見慣れた顔をした子どもが無表情で混ざっているのを見つけた。子どもは何人もいて誰もが笑顔だったのだが、その子どもだけは硬い表情をカメラに向けていた。

 無表情で写っている子どもは、他でもない私だった。

 当時そのような集合写真を撮ったことをおぼろげに思い出した。たしかに私は、理由は憶えていないが、集合写真を撮るというのに笑顔を作ろうとしなかった。

 今思えば私はカメラを向けられて笑顔を作る子どもではなかった。小学生の頃の集合写真でも私はカメラをにらみつけるような表情で写っていた。両親はさぞ心配したことだろう。もしかすると発達障害と呼ばれるものかもしれないが、デリケートな問題になってしまうので今はあまりそれについて踏み込んだ発言は控える。

 そんな私もすくすく育ち、今では立派に笑顔で写真に写るようになった。人には「笑顔が素敵」なんて言われることもある。

 そういうわけで、我が子がもし集合写真で笑顔にならない子どもだったとしても、私は特段驚くことはないだろう。きっと我が子は我が子なりに楽しんだり苦労したりして自分の人生を歩んでいく。大人になる頃には先輩に可愛がられ、後輩に慕われる人間になるだろう。考えるだけで胸が熱くなる。

 まだ子どもはいないのだけど。