会社員が書く雑記

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妻がヒステリーを起こすので私は書店へ避難する

 妻のヒステリーに悩まされる。

 細かなことで私に落ち度があると、それを見逃さず小爆発を繰り返し、不機嫌モードに入る。そうなってしまえば私は謝り妻の気持ちが落ち着くのを待つしか手立てがない。

 結婚して間もないのだが早くも離婚を考えてしまった。そのような相手とは長く一緒に居られやしない。実際にすでに家の外に安らぎを求め始めているのだから(断言するが浮気や不倫というものには至っていない)。


 しかしこのような場所に今居るのにも何か意味があるとしたら、と考えてしまう。そして「せっかくチャンスを得たのにもったいない」、と。

 馬鹿な考えではあるが、一度この考えを突き詰めてみようと思う。


 もしこの環境がもったいないとするのであれば、妻のヒステリーへの対応力を身に付けることが私の成長に繋がるのではないか。

 先にも言ったが、当然ヒステリーに付き合う必要はない。ここではあえて付き合う選択肢を取るとする。

 であれば、相手の感情の起伏に翻弄されない心の持ち方を学ぶ絶好の機会である。なぜならば妻の感情の爆発は辟易するほど日常的に起こるのだから。


 今の段階では私は無視や拒絶はできない。妻の気持ちに寄り添い「優しく」対応するのを良しとしているからだ。

 しかし理不尽な怒りに対して律義に慌ててみたり困惑してみたりしていては私の身がもたず、無視や拒絶も選択肢に入る。相手もヒステリーによって私がどのように感じるかを無視しているのだから。

「刺激」と「反応」の間にはスペースがある。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

 私がこのブログで度々紹介している書籍『7つの習慣』で言われている言葉である。

 この場合、妻のヒステリーという「刺激」に対し私がどのように感じるかが「反応」である。妻のヒステリーが起きてもその出来事は私の感情に直結していないのだ。気持ちを落ち着けてどのように反応するかを私は選択することができる。

 妻と私の両者が幸せになれる選択をしたいと思う。私は妻のヒステリーが落ち着く方向になればいいと考えている。それが無理なようであれば……あまり考えたくはないがお別れするしかないだろう。人生100年この先まだまだ生きていかねばならないので、あまりにも頻繁にヒステリーを起こす人間に側にいてもらう理由はない。

 愛情が足りないと言われるかもしれないが、お別れをすることでわかってもらえるなら、という気持ちもあるのだ。


 現時点で私が意識しているのは自分と外界との間にしっかりと境界線を設けることである。そうすることで妻がヒステリーを起こしても私はあまり感情を乱すことはなくなった(当初は慌てふためき時には涙を流したこともある)。

 夫婦であっても個と個である。境界線を無視して相手を我が物としてコントロールしようとすれば物事はうまくいくはずがない。それは私も同様に気をつけるべきことである。

 「早く〇〇して!」「××はしないでって言ったでしょ!」と言われたら脳内で「〇〇した方が良いのでは」「××すると良くないのでは」と自分の言葉に変換し、自分で自分に伝えるというプロセスを経ることで、私自身の境界を保つことができるかもしれない。それはまだしたことがないので今日からやってみる次第である。


 もしも身近な人のヒステリーに問題なく対応できるのならきっとどこへ行っても無敵である。ぜひチャレンジしたい課題だ。