会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

愚痴を聞きながら、もうちょっと他人に期待せず許してあげてもいいと思うのだけど

 夕食を食べながら、妻の口から発せられる職場の愚痴を聞く。

 「一緒に働いているあの人は仕事をしない」「あの人は意地が悪い」「この職場はここがおかしい」

 私はそれを聴きながら頷く。私は妻が話す人物のことを何一つ知らない。なので「そうなんだ、それは大変だね」と言うのが精一杯である。私が生返事をしながらテレビを見ていれば、妻は容易に沸点を超え、怒りの矛先が私に向けられる。私も私で仕事で疲労しているため、できればこれ以上負担を抱えたくない。だから私は妻の愚痴に対し、律義に返事をしている。

 どうやら妻は愚痴をこぼさずにはいられないようである。以前車で出掛けたときも、助手席に座る妻が話したのは職場の愚痴だった。私は妻ではないので、そこまで愚痴を話さなければならない心情はわからない。純粋に考えれば、妻の職場はそれだけ過ごしにくいということなのだろう。

 反対に私は愚痴をほとんど話さない。そのため私が愚痴を話す機会も欲しいと思うことはほとんどない。だから妻の愚痴を聞くことはそれほど苦痛ではないのだが、愚痴を話す妻に対して思うことは少なからずある。


 まず、他人に対してそこまで多くの「期待をしない」方が生きやすいのではないだろうか。話を聞く限り、相手が期待した通りに動かないから不満を持っているようである。

 「私が急いでこれしているのに、同じ立場のあの人はのんびり手を動かしている」
と言うことが多い。作業内容は手を動かせばいいような単純なものである。

 たしかに同じ働く時間に一つのことを行っているのであれば、作業量に差が生まれる。であれば最初から作業を分割し、一人一人が決まった量をこなせばいいのだ。

 早く帰りたいことが理由で素早く作業を行っているのなら、尚のことあらかじめ分担して作業を決め、自分の分が終わったらそそくさと帰ればいい。
「ごめん、今日急いでいるから」
とでも言っておけばいいのだ。決められた作業を終えたわけだから、作業が終えられない相手を手伝わないことで責められるのは筋違いである。

 そうすれば、一人で二人分の作業をし「相方が仕事をしない」というような不満を覚えることはない。相手に対し、仕事を素早くこなすことを求めなくて済むのだ。


 あとは、他人のことをもう少し「許して」みてはどうかということである。

 世の中には立派な人もいれば、ちょっと怪しい人もいる。私もどちらかといえば怪しい人の立場である。

 その怪しい人に対し、いちいち腹を立てるのは、非常にエネルギーを消費することだ。お腹も減るしストレスが溜まり、戸棚にしまってあるお菓子はどんどん消費されることとなる。そうしたら腹が立ち腹も出てしまうので、あまりいいことはない。

 怪しい人を許せないでいるというのは、その人に対し常に関心を向け続けているということだ。その人のことを考え、怒りを思い出すから、愚痴になって外へ排出しなければいけない。そしてお菓子を食べ、エネルギーを補給するのだ。

 それに立場が変われば、立派な人だってたちまち怪しい人になりかねないのだ。もし普段仕事をバリバリこなす人が、不慣れな対戦ゲームのグループに加わったとする。そのような場合、普段の仕事の成績がいくらよかろうが、ゲームが上手い人にボコボコにされるだけである。もしそれがチーム戦であれば「足手まとい」ということになる。

 妻に限らず、愚痴を聞いていると、たまに人格の否定にまで繋がることもある。「頭がおかしい」とかそこまで言うのかと私は思ってしまうのだが。

 そんなこと言ったって、その人か自分がその場所を離れない限り、同じ世界で共存している生き物なのだ。

 だからその人のことは「許して」しまうのが楽だと私は思っている。

 「許す」ことは「怒りの対象から外す」ことに繋がる。その人に対して怒りしか感じないのであれば、怒りの対象から外れたら関心さえなくなってしまうだろう。だから一旦対象から外してしまって、じきに忘れてしまえばいいのだ。


 「期待しない」とか「忘れる」とか、自分で書いておきながら冷淡な感じになってしまった。

 しかし、逆に「期待して」「意識し続ける」と書けば、怒りを感じている対象の人にそれは自分勝手で重過ぎるとわかるだろう。これではサスペンスドラマの犯人の心情である。

 妻に限ってその人のことを刺すようなことはないと思うのだが、これからも注意深く話を聞いていようと思う。