会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

重くないか?その付き合い方・・・・・・

 いつも一緒にいる仲の良さそうな夫婦は、一見幸せそうである。片方が「新しくできたカフェに行きたい」と言えば「じゃあ行こうか」と一緒に出かけるのである。どこに行くのも一緒で、絶えず笑い声が聞こえてきそうである。

 そういった仲の良さは、別に夫婦に限ったことではない。親子とか恋人とか友達とか、人と人が築く関係性は様々である。「あいつが行きたいって言うから付き合ったんだ」みたいなことはよくあり、それが新しい体験をするきっかけにもなるだろう。

 しかし、だからといっていつでもどこでも一緒にいるというのは極端ではないだろうか。極端だと思うのだけど、たまに「その日の気分で一人で出掛けて、後で相方にそのことを咎められた」という話を聞くことがある。「一緒に行きたかった」と一見聞こえの良いことを言うが、一人で出掛けた側としては一人で行きたい気分だったのだ。


 誰にも断らずに個人的なことを行うのは別におかしなことではく、当たり前のことである。しかしその結果「何で声を掛けてくれなかったの」と自分を責めるような言葉を掛けられるのは、一体どうなんだと思う。一緒に行きたかったなら早く言ってくれたらよかったのだ。そしたら声を掛けたのに。


 つまるところ私は一人で過ごすことが好きなのだ。一人孤独に、という意味ではない。一人で会いたい人に会いに行き、観たい映画を観て、気ままに本を読んで過ごしたいのだ。

 しかしそのように過ごしていると、協調性がなく人付き合いが下手であると判断されがちである。それは多くの場合、マイナスの評価を受けることになる。


 学生の頃は、何かと周りの友人達と同じペースであることを求められた。教室を移動する際も誰かと一緒に移動をし、休み時間も誰かと一緒に過ごすのだ。

 それが楽しいのであれば何も問題ないが、一人で過ごしたい人にとっては苦痛である。かと言って、一人で好き勝手に行動をした結果「あいつは俺達とは違う」と仲間外れにされてしまえば、生活はひどく辛いことになることは何となく想像できる。だから我慢して顔に出さないようにわいわいしゃべりながら廊下を歩く。

 しかし、そんなことは幻想でありどうでもよかったのだと、後々気が付くこととなる。

 クラスでも目立たない存在の彼が、実は人のペースを気にすることなく黙々と目標に向かって突き進んでおり、進学先はクラスメイトの誰もが手が届かない進学校だったのだ。クラスでうまく生きようとすることに必死だった私は、そのことを知った時点で、それまでの生き方を一切捨て去り、彼の生き方を参考にすべきだったのだ。

 結果周りの友人達からはぐれないよう意識して生きる生き方は、高校卒業まで続くこととなった。


 誰かと一緒に過ごすことは必要で、誰もが助け合って生きている。それは揺るがない事実であり「人は二足歩行をする生物だ」と同じレベルの大前提だ。中には生涯を孤独に生きる人もいるし、何らかの障害を持ち二足歩行ができない人もいる。

 誰かと一緒に過ごすことにこだわるのは、移動手段を二足歩行にこだわるのと同じなのだ。だけど当然ながら移動手段は二足歩行だけではない。自転車に乗ってもいいし、車、キックボード、セグウェイ等、多種多様な移動手段が現代にはある。もし歩くことが困難であれば、真っ先に思いつく手段として車椅子を利用することが挙げられるだろう。

 同じ様に、どんな人間関係においても一緒に過ごすことにこだわるのは、少し窮屈な考え方ではないかと私は思うのだ。


 ・・・・・・何を今さら感が否めないが、「誰かとべたべた一緒にいることに疲れて一人になりたいと思ったけど何だか罪悪感を感じる」という人に今一度届けばいいと願って投稿する。

 世の中役に立つことばかりじゃないのだ。今日もくだらない散文です。おしまい。