会社員が書く雑記

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マザコンとかピーナッツ親子とかの子のセンスは時代遅れ

 ピーナッツ親子という言葉がある。「マザコン」の女性版のような意味で使われ、母と娘の関係性が濃すぎることで起こる状態のことを指す。
 母と娘でぴったりくっついて並ぶ姿が「落花生」の殻の中で並んでいるピーナッツのように見えることから「ピーナッツ親子」と呼ばれている。特徴としては「しょっちゅう母親に連絡をしている」「母親に恋愛相談をする」「ファッションが母と娘で同じ」などが挙げられる。

参照 - 『共依存とピーナッツ親子』とは? | 一般社団法人 恩送り

 母と子の間で生じる共依存の関係と言うわけだ。

 私はその関係そのものが悪いとは思わない。
 関係が強固であれば、経済的な側面や生活で困ったことが起きた場合に、すぐに助けを求めることができるからだ。また、些細な変化にも気が付き、それが不幸を招くことであれば、すぐに察知し対処しやすくなる。

 問題なのは、その関係が子の成長を阻害する可能性があるということだ。

 ピーナッツ親子は、あえて悪く言えとすれば、親の言うことを何でも聞く「自分の頭で考える能力がない子」、もしくは子に言うことを聞かせる「支配したがる強情な親」である。断言する。


 既に成人になった子が何かを決めなきゃいけないことがある場合を考える。問題は重大なことではなく、結婚式に着ていく服といった単純なこととする。
 順調に成長を果たした子であれば、せいぜい友人とファッション被りがないか確かめる程度だろう。
 だがピーナッツ親子の場合、子はその程度の問題でも一度親にお伺いを立てなきゃいけない気持ちになる。
 「この服装はおかしくないか」「良い服がわからないから一緒に選びに行ってほしい」等と親に意見を求めるだろう。

 親が抜群にファッションセンスがあるのであれば、親は専門家に近い役割を果たす。

 しかし大体の親は子の状況を正しく理解しているとは限らない。それでいて子の決断に対して口出しをするから、子は親の価値観を基準に判断をするようになる。
 だが、ごく普通の家庭の親のセンスは時代遅れであることが多く、親の判断基準において子の世代の流行はほとんど無視される。

 ありがちな例で言えば、親が買ってきた服を着がちだとかいつまでもスペックの低いスマホを持っているだとか、身近にはいくらでも例がある。

 ここで親のセンスが悪いと責めるのは酷だ。
 なぜなら子の世代ではごく当たり前のように見慣れている流行りの服やスマホも、親世代からしたら新しく珍しいものばかりだからだ。

 子は、その変化を柔軟に、そして急速に吸収して大人になっていく。
 だから自分の目で確かめた判断基準を基に、世界を生き抜いていかなければならない。
 そこで子が親の判断基準を重要視して生きるなら、その関係が自身の成長を阻害するのだ。

 親の意思が子の生活の細かいところにまで行き届き、子の生活に影響を与えるようになる。


 梅原大吾という男がいる。彼は格闘ゲーム界のカリスマであり、格ゲーファンで彼を知らない人はいない。
 格ゲーをしない私でも彼を知っており、彼の試合をYouTubeで見ることもある。
 もしプロゲーマー梅原大吾が親の言うことをちゃんと聞き、ゲーセン通いをやめていたら、今のビースト・ダイゴは存在していない。そうなれば日本におけるプロゲーマーという職業の基盤が出来るのは、もっと後の時代のことになっただろう。


 Kindleが欲しいということを、親を説得させる気もなくただ判断をしてほしいという気持ちから、親に相談をしてみたとする。
 Kindleに関して何の情報も持ち得ない親はきっと
Kindleって何?」
「そんなの紙の本で読めばいい」
「本を読むためだけに1万円もかけるなんて馬鹿のやること」
と言うだろう。親ということに限らず、人は未知の物に対して不安を感じるものだからだ。
 子が親の意思を重要視して生きることに固執するのであれば、Kindle購入を断念することは目に見えている。

 個人的にKindle端末は読書にとても役に立っており、私が本を読むペースはかなり上がった。様々な本と出会うきっかけにもなっており、大変ありがたい存在となっている。
 もし自分が親の意向をいちいち気にするタイプだったら、Kindleに出会うことはなかっただろう。
 そもそも私は親に相談さえしていない。ピーナッツ親子でなければ、それはごく自然なことだと思う。


 親を大事にすることと、親からのコントロールを受けることは、全く別のことだ。
 親に些細な相談事をしないからと言って、親を大事にしていないわけではない。また何も親に相談しないというわけでもない。親にしか相談できない内容のことだってあるだろう。

 何でもかんでも親の意向を気にする子どもは、早くそれを自覚し、少しずつ自分の判断基準で物事を決めていったらどうかと言う話である。