会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

「何のために生きてるのか」って言うけど

 自身の会社員としての仕事が以前よりも忙しくなったこともあり、「自分が何をしたいのか」ということについて少し考えるようになった。


 でも特別したいことも思い付かない。
 したいことを考えても具体的な人生の目標は浮かばず、欲求を満たす程度の小さなことばかり考えてしまうので、逆に「何のために生きてるのか」が分からなくなる。
 ドーナッツを食べたいとか、この本を読みたいとか、カメラで遊びたいとか。


 多分、毎日が楽しかったら、「自分が何をしたいのか」とか「何のために生きてるのか」なんて考えないんだろうな。


 忙しい毎日はきっと楽しくないのだ。少なくとも自分は楽しいという気持ちを持っていない。


 大局を見れば、些細な仕事も大きな意味を持っている、というような話がある。
 石を運ぶ人がいたとして、その人が今何をしているのかという意識が「石を運んでいる」のか「城を建てている」のかにより、モチベーションが大きく異なるという話だ。
 この場合、単に「石を運んでいる」というだけの意識の人は、モチベーションが低く、辛そうに労働をしている。
 それに対し「城を建てている」という意識の人は、高いモチベーションを持ち、誇りを持ちながら労働をしている、という内容である。


 そんなありきたりな話を読んで解決できるのならわざわざブログに書き殴ったりしない。
 この話は昔からよく聞くものなので、もしそれが心に深く刺さっていたなら、今頃は意識を変えてモチベーションを高く保っているだろう。


 私の現在のモチベーションはどん底である。
 Kindleを持って芝生のある公園に出掛けて気ままに過ごしたい。
 そんなことを思いながら、忙殺される毎日を過ごしている。


やなせたかしのうた?アンパンマンのマーチ?


 生きていることなんて、結局誰のためでもなければ自分のためでさえもないのだ。
 極論、生きてさえいれば自分が何者であろうと構わない。何者にもなろうとしなくても良い。
 今生きているのなら、それで目的は果たしている。


 なのに、忙しいだけで毎日が楽しくないのだから、そんな思いをしてまで忙しくしている理由は何なのか。
 いつだって止めることはできるのに、わざわざその生活を続ける選択をしているのだ。


 金。立場。責任感。忙しい場所に身を置き続ける理由は様々ある。
 生きるためには金が必要だし、金を得るために立場を守り責任を持って業務を遂行しなければならない。
 「生きたい」という原始的な欲求を満たすだけなのに、雑多に物を抱えてしまっている。息苦しい。


 ところで最近、『天冥の標』というSF小説を読んでいる。
 SF小説というジャンルはあまり読むことがないのだが、多くの方がレビューをしていたので、手に取ってみた。

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA) 天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)


 これをじっくりのんびり読んでいるのだが、この「読んでいる途中、本を閉じ現実に戻っている間」の長い時間も、頭のどこかでは小説のことを考えている。
 キャラクターの発言について考えを巡らしたり、今後の(小説の中の)世界に思いを馳せたりして、考えている間楽しい時間を過ごしている。


 現実世界の役割が一段落し、小説を読むため本を開く時、私は安堵に似た興奮を覚える。
 またあちらの世界に行けるのだ、現実を休めるのだ、と。


 仕事が生活のほとんどを占める現実なんて少しも楽しくはない。
 しかし、様々な物語に触れた私の頭の中には、別の世界がいくつも構築されているので、仕事が溢れ出した現実でも頭がいっぱいにならずにぼんやりと生きていられている。


 本当は現実だって楽しいことがあるはずなのに、それを見えなくさせてしまう忙しさは罪である。