会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

好きなことを追求するのに過去と未来は関係ない

 生きていると気持ちは揺れ動き、昨日と今日では全く考えていることが違うことがあるのではないだろうか。
 私は、ついさっきまで明るく積極的に物事に取り組む気分だったのに、突然やる気をなくし、だらだらしてしまうことがある。可能性を諦めて凡庸な人間を目指すことも、気まぐれに好きなことを追求したくなることもある。


 私はどちらかといえば凡庸な人間であるため、好きなことを追求したくなることは珍しい。
 小さい頃から、やりたいことをしてこない人生だった。小学生の頃はサッカークラブに所属したかったが、気恥ずかしくてやめ、何にも所属することはなかった。その時にサッカークラブに所属する選択をしていれば、人生は少し変わっていたかもしれない。
 他に、親に強制されて何かをすることが多く、自分の人生を自分で決める力は削られていったのだと思う。
 それは言い訳となるかもしれない。やりたいことをやらない言い訳を自分でしているのだ、と。
 しかし、子どもにどれだけ親に立ち向かう力があるというのだろうか。子どもの頃は従順であることこそ生きる術であり、そういう意味では、私は良く生きてきた。


 そして30代を目前とした今、これから何者かに成るのは、現実的に不可能だ。せいぜい今勤めている会社に居座り続け、それなりのポジションを確立するかどうかだろう(最も自己防衛的に立場を維持する程度の気持ちしか持ち合わせていないのだが)。
 子どもをこんなふうな大人に育てるには、とにかく子どもに物事を強要することだ。それも悪いことではなく、世間的に良いとされていることを強いるのだ。良いことを強いることで、子どもは自分自身を納得させやすくなり、教育が行き届くだろう。


 さて、こんな大人になってしまい、ほとんどの可能性を諦めた今でも、私は気まぐれに自分の好きなことを追求しようとしている。
 何者かに成るためではない。何せもう遅すぎるのだから。
 だけど、何もしないで生きていくのは寂しい。せめて心が反応するものに対して触れていたいものである。
 小説、カメラ、ガジェット、仮面ライダー、怪談、都市伝説、どれも好きで、どれも初心者だ。知識も経験も浅いため、ブログで語れることはほとんどない。「こんなことに夢中になっても無意味だ」なんて、どこか自分に対して冷めた気持ちで生きてきたため、その道を歩み始めること自体してこなかった。
 しかし大人になった今、これまで遠くから眺めているだけだったものを追求していくのは、楽しく刺激的だ。色んなことを諦めてきた人生なので、その逆の、誰に言われるでもなく気まぐれに好きなことをすること自体が楽しく感じるのだ。


 何に成るわけじゃないかもしれないが、それでいいのだと思う。
 自分にとっての過去と未来は、今この瞬間にしか存在しない想像だけのものだという。
 だから今この瞬間を楽しむべしというわけである。ちゃんちゃん。