会社員が書く雑記

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生きているから生きる、死んだら死ぬ

 最近YouTubeにてペットの動画をよく見る。犬とか猫とか、たまにシマリスやインコ、オウム。
 私の実家にも大人しくて臆病で頑固な老犬チワワがおり、実家に寄る度に可愛がっている。


 YouTubeで動画を見ているとき、コメント欄を眺めることがある。私はコメントを残すことはしないが、人にコメントを読むのは好きだ。
 ペットの動画を見ていると「もう亡くなったけど飼っていた子を思い出す」というコメントを見かけた。動画の子と飼っていた子が少し似ていたようである。


 ペットロス症候群という言葉がある。ペットが死亡、行方不明、盗難に遭ったとき、飼い主に起きる可能性がある精神疾患だ。
 やはり自分の世界からペットの存在が失われてしまうのはひどく寂しいことなのだろう。
 私の場合は、チワワはまだ生きており、ペットを失う悲しみはこの先訪れてしまうのだろう。


 たしかにその感情は悲しみ以外の何物でもない。きっと泣くし、喪失感に立ちすくんでしまうだろう。実家を出る前は相棒のように可愛がっていたし、今も気持ちに変わりはないのだから。
 だけど、彼らは立派に生きた証を残せている。
 飼い主の心にしっかりと傷跡を残すのだ。YouTubeに残されたコメントのように。私がこの先味わうであろう悲しみは、紛れもなくチワワの仕業なのだ。
 生き物には必ず死は訪れるのだけど、自分のペットが私や家族の心に生きた証である傷跡をしっかりと残すことは、単純に誇らしく思う。


 彼らペット達は何を思って生きているのか、とたまに考える。
 エサをもらい、散歩に行き、撫でれらたり抱っこされたりして喜び、たまにイタズラを仕掛けて叱られる。
 私は彼らがそこにいてくれるだけで嬉しいのだけど、彼らはどうなのだろう。


 ……まあ、私だって私自身何を思って生きているのかわからない。
 生きる目的もはっきりしていないし、死にたいわけじゃないけど、何かを成し遂げるために生きているわけじゃない。
 死んだら悲しい、というだけだ。周りも悲しむし、周りが悲しむなら私も悲しい。
 せめて精一杯生きたという証が残せたら、とは思う。


 案外人間もペットも大して変わらないのかもしれない。
 生きているから生きる。死んだら死ぬ。
 ひとりぼっちじゃ寂しいからみんなで生きる。ごはんを食べて、散歩に行き、触れ合って喜び、たまにイタズラを仕掛けて叱られる。


 じゃあひとりで生きている人は?


 ひとりで生きている人とは遭遇し得ないので、ひとまず考えるのを止める。
 まあ、生きることが尚更大変になるんじゃないかなあ。知らんけど。(思考停止)


P.S. うちの子かわいかろう
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