会社員が書く雑記

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みんなだいすきな無人島生活にもそろそろ飽きたし

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 ローグライクでアクションで手軽なゲームがやりたくて「Dead Cells」をダウンロードした。
 無人島生活にもそろそろ飽きたし、魑魅魍魎跋扈するダンジョンに入り浸りたくなった。


 全然手軽じゃなかった。思いの外ドはまりし、妻の目が届かない一人の休日は一日5時間程度プレイしている。
 これがなかなか難しく、攻略のし甲斐があるゲームである。下手なパッケージ製品をプレイするより何倍も面白い。
 何よりその軽快な操作感は一見の価値があるだろう。キャラクターが思い通りに動かずミスをするといったことがほとんどないのだ。


 しかしこういうものを遊んでいる間は、なかなか虚無である。
 現実には何の生産性もないし、見方によっては時間を浪費しているだけだ。


 だけど今私はダンジョンに潜るために生きている。
 ちなみにあまり用語には詳しくないので、ゲーム内のステージをダンジョンと表現する。
 仕事を終え家事を終え、余暇をひねり出し、ひたすら真剣にこのゲームと向き合っているのだ。
 そこには何物も入り込む隙間はない。収入の不安や人間関係の悩みなんてダンジョン攻略の前では塵ほどの重みしかない。
 私はダンジョンに潜る。


 ところで生きることは退屈である。
 誰かのために働くことはつまり自分のためであり、働くことは喜びである、という戯言はもはやどうでもいい。
 確かに多少の喜びを感じることはあれど、毎日毎日喜んで働きにいくことはないのだ。
 若い頃は「もっと生産的な、創造的なことをしなければ」と意気込んで生きていた。仕事のことを考え、将来に想いを馳せ、そして鬱になった。私には将来が重過ぎた。


 毎日に夢や生きがいを見出すことを諦めて生きることを心に刻んだ。虚無である。しかし前向きな虚無だ。
 何せ生きることは退屈なのだから、退屈と向き合えばそこには虚無しかないのだ。


 例えば生きる意味がわからないのなら、じゃあ死んだらどうなる?
 虚無を感じることさえなくなるだけだ。
 生きていれば虚無を感じる心がある。退屈。虚無。そんなものにも価値があると思わないだろうか。


 全てを諦め手放した後、なぜかここにいる自分に気が付く。
 何も持ってないはずなのに、仕事をし、家庭がある、ありきたりに幸せな自分。
 そんな立場だから、どうせ虚無ならちょっとくらい他人を助けてみてもいいかも、とたまに思う。
 何も持たない自分でもなんかよくわからんが他人を助けられる立場にいるのだ。
 (意図的に奪われることに対しては抵抗をしたい。上記は心の問題であり、現実的に所持金や持ち物を失うのはとても嫌だ。)


 さて、本日もほどほどに働いたら思う存分ダンジョンに潜るのだ。
 新しい装備の設計図は手に入るだろうか。ハードモードのボスは倒せるだろうか。
 寝不足になる前に止めたいが、どうだろう。