会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

たまには外へ行く -新潟件十日町市-

 いつも妄想を垂れ流しているこのブログだが、たまにはリアルな日常の記事を書こうと思う。
 と言うのも、珍しく遠出し、写真も撮ってきたので、せっかくだから載せたいという気持ちがあるからだ。ちなみにSONYコンデジRX100M3で撮影し、縮小サイズのJPGをスマホに送り、スマホの画像編集ソフトで少しいじったので、画質はお察しである

 場所は私の住む新潟件にある十日町市というところへ行った。十日町市は新潟件の南部に位置しており、川や山など豊かな自然に恵まれている。


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 早速だが本日の目的地、清津峡である。日本有数の景勝地であり、
‘’昭和24年9月に国立公園に指定され、その荘厳なる閃緑ひん岩と柱状節理の美しさから、
黒部峡谷、大杉谷とともに日本三大峡谷の一つに数えられています。‘’
とのことである。(公式HPより抜粋)

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 川の流れが美しく、気持ちのいい場所だった。


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 峡谷トンネルへ続く。清津峡峡谷の大自然を安全に楽しめるよう作られたトンネルだという。

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 トンネルを進むとライトにより幻想的かつ近未来的な雰囲気が演出されている。

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 トンネルの中継地点には、雄大な峡谷と美しい川の風景を見ることができるスポットがいくつかある。
 トイレが設置されている場所もあるのだが、なんとトイレの中はマジックミラーとなっており、中から外を覗くことができるのだ。(諸事情により写真は撮れなかった)

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 最奥には各種メディアで紹介されることのある映えスポットが。この日はあいにくの曇であまり良い景色が撮影できなかったが、誰でも映える写真を撮ることができる。
 靴を脱いで水の上を歩いていくことができるのだが、水がとても冷たく気持ちよかった。もし行くのであれば足を拭くタオルを持って行くといいだろう。

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 お昼に「名代生そば 由屋」でへぎそばを食べた。コシが強く、つるつるとした食感が美味しかった。薬味に添えられているのはネギとからしである。


 たまにはアクティブに出かけてみた。見知らぬ土地だったので、見るもの全てが新鮮で楽しかった。新潟県も縦に長く、同じ県内でもなかなか行く機会のなかった十日町である。今回紹介しきれなかった場所も数多くあり、また季節によってはイベントも開催されているため、別の機会にまた遊びに行くのもいいと思った。
 朝早くから家を出た甲斐があり、どこも混み始める前に行くことができた。清津峡峡谷トンネルは、もう1時間遅かったら駐車場まで続く長い列に並ばなければならなかっただろう。


 普段遊びに行くと言えばイオンかアピタになりがちだが、新潟にはたくさん訪れるべき場所があるようだ。外に目を向けることで新たな刺激を受けられるかもしれないので、今後も新しい場所、新しい体験を探してみたい。

西川さんとゼロワンと私

REAL×EYEZ TVsize

 私は仮面ライダーファンである。同時に、西川貴教のファンでもある。


 この二つは、私が同時にファンを続けている間、交わることがなかった存在である。仮面ライダー側としてはGACKT松岡充がテーマソングを担当し、西川さん側は数多くの映像作品のテーマソングを担当する等、二つがいつコラボレーションを果たしてもおかしくない状況が続いていた。しかし私が待てど暮らせど西川さんがテーマソングを担当することはなく平成が終えてしまった。


 ところが、平成が終えて令和が始まった最初の「仮面ライダーゼロワン」にて、J(LUNA SEA)×西川貴教のタッグでテーマソングを担当するというニュースがあった。
 新しい仮面ライダーシリーズが始まるとき、私は通常「ああ次はこんなライダーか、どうなるんだろうな」と、言ってしまえばほんのり期待する程度だった。しかし「仮面ライダーゼロワン」のテーマソング発表のニュースを知った私は、これまでと全く違う興奮を覚えることとなった。
 「やっと西川さんが!仮面ライダー歌うよ!」
 一緒に番組を見ていた私は、大して興味もない様子の妻に向かって興奮して話す。
 交わることがなかった私の「好き」が一つになる瞬間だった。


 とは言え社会人になり人付き合いを知った私は、カラオケであまり歌えない西川さんの曲から離れかけてしまっていた。社会を生きるのに大事なのは誰もが知るメジャーな曲を歌えることであり、それができない人間は人付き合いが下手に見られるという雰囲気がある。なので一生懸命いろんな曲を聴くうち、本来ファンだった西川さんの曲を聴かない時間が増えていってしまったのだ。


 そういった類の社交性云々に関しては置いといて、とにかくそういう理由でファンをやめかけていた私に、「仮面ライダーゼロワン」テーマソングの報せは電撃的に私を興奮させたのだ。前回までは劇中歌やED的に使われていたので、OPとして流れる回がくるのを楽しみにしている。
 フルサイズの発売はまだ先で現状はTVサイズでしかダウンロードできないため、発売日まで首を長くして待つこととなる。


 しかしただ待っているだけでいるのも切ないので、私が離れていた期間に発売された西川貴教名義のアルバムを購入することにした。

SINGularity

 このアルバムには、仮面ライダーのテーマソングの作詞でお馴染みの藤林聖子さんが作詞した曲も多数入っているため、私にとって非常にハマれるアルバムだった。まだ手に入れてから一晩が明けたのみで深く聴き込めていないので、これからガンガン聴き込んでいこうと思う。
 人付き合いのために馴染まない曲を聴き続けるのも苦であったので、今一度私の原点に立ち返るのもいいだろう。それこそ苦しい時期は西川さんの歌を聴いて乗り越えてきた過去があるため、西川さんの歌はもはや私の人生からは切っても切れない存在と言える。


 「仮面ライダーゼロワン」も、造形やアクションのカッコよさ、悪役の非道さ、ヒロインの可愛さなど、見所満載で目が離せない。毎週楽しみな番組が文字通り時代が変わっても続いていることは非常に嬉しいことである。


 ちょっと語りたいことが多過ぎるので、また時期を見て書きたい。今回のところはこの辺で。

忙しぶってると大事なものを見失うぜ

 今日は散々な一日だった。まずこの頃仕事量が多く目まぐるしい日々を送っていた。抱える量があまりに多く、どうやら乱雑に仕事を進めてきたツケが回ってきたようである。自業自得と言われたらそれまでであるが。


 書類の見落とし、確認の怠りにより、仕事をスムーズに終えられない。忙しいときこそ丁寧な立ち回りをすることである。でなければ隙だらけになり、悪魔に狙われるハメになるからだ。


 どんなときだって自分を苦しめているのは自分だ。なぜなら物事をそのように認識しているのは自分自身だからだ。
 仕事量が多いときでも、一呼吸置き、ゆっくりでいいから周りを見渡すべきである。何か重大な見落としがあり、余裕がなければ見つけられないかもしれないのだ。


 「忙しい忙しい」と唱え何も見られなくなるのは愚かである。私の嫌いな人種のひとつだ。嫌いな人物は大抵「忙しい忙しい」とぶつぶつつぶやき、周囲の気も知らない発言を繰り返している。忙しいということはある側面からは良いことだが、大事なものを見失っているのなら、恥である。
 そして、今日は私もそのようになっていた。
 「俺は忙しいんだ」と心の中で思いながら、休憩がてらネットサーフィンをしお茶を飲み、つかの間の休息というものを演出していた。当然周りからはサボっているようにしか見えないしうざいのだが、大事なものを見失うとはこういうことである。


 とは言え誰もが完璧ではない。時にこのような周りが見えない状態に陥ることもあるのだ。私は反省をしたのでまあいいことにしよう。
 それからまた忙しい日々が続くのだが、気長に気ままにブレずにいこうじゃないか。

使った耳かきを片付け忘れる私は世の中は渡れない

 耳かき。
 耳垢を取るための道具もしくは行為である。


 実際に耳垢が取れるにせよ取れないにせよ、耳の中をガサゴソとくすぐるのは気持ちのいいことだ。注意しなければいけないのは、耳垢を奥まで押し込んでしまうことである。それでは耳かきの意味がなく逆効果だという。肝に銘じなければならない。


 さて私はよく耳かきをする。高い頻度でするので、大きな耳垢が取れることは稀である。大きな耳垢が取れたときが一番気持ちがいいのだが、今では耳の中をガサゴソとくすぐることに快感を覚え、無心で耳かきをしている。当然ながら、耳の中が傷つくと痛いので慎重に耳かきを操作している。


 そして使った後の耳かきを、所定の場所に戻すことを忘れ、テーブルの上に置きっ放しにしてしまうことがありがちである。
 勘違いしてほしくないのが、耳かきをした後にそのまま置いておくのではない。きちんと先端をティッシュで拭き取り、清潔な状態で置いてあるのだ。まさか自分の耳の中がきれいだとは思ってなどいない。そのまま置く行為は不潔極まりない。


 テーブルの上に置き去りにされた耳かきは妻により発見され、私は叱られることになる。
 「いつも片付けろって言ってるじゃん。なんで片付けられないの?」
 私は平謝りをし、すぐに耳かきを片付ける。別に大した作業ではなく、15秒で片付けることができる。「なんで片付けられないの」だろうか。妻の言うことはもっともであり、片付けながら私は自問自答する。


 おそらく私は注意力散漫であり、耳かきに飽きたらすぐに別のことを考え始めてしまうのだ。私は私自身がアスペルガー症候群であるという自覚は少なからずあり、耳かきが片付けられない件に関しても、その辺が関わってくるのかもしれない。


 さて、耳かきが片付けられないということは、言い換えれば物事を完了できていないということになるだろう。
 耳かきは、耳かきを取り出して耳垢の掃除をし、使った耳かきを戻すまでが耳かきである。なので耳かきを片付けないというのは耳かきの工程の80%までしか終えていないということになるのだ。


 そういう「80%までしか終えられない癖」は、会社でも家庭でも、快適な生活を送る上で障害となるだろう。使ったものを片付けて初めて「完了した」と言えるが、80%までで済ませ続けたら、身の周りは物やゴミが散乱することとなる。もしそこが共有スペースであれば、大きな問題となり得るのだ。


 「80%までしか終えられない癖」はなかなか厄介である。何せ体に染み付いた癖なのだから、耳かき以外にもドライヤーやグラスも放置してしまうことがある。仕事の道具も然りだ。
 そんな厄介な癖を矯正するためには、とにかく「物事を完了させること」を意識するしかない。幸い作業は人生と違って終わりまでのスパンが非常に短いので、簡単に終えることができるのだから。いや、人生ももっと簡単に終えてやり直せたら愉快なんだけど、そううまくはいかないものである。


 使った耳かきを片付けられるような意識改革が起きれば、もう少し世の中も渡りやすくなるだろう。とにかく私は「80%までしか終えられない癖」を「些細なことでも完了させる癖」に塗り替えたい年頃というわけだ。

たまにはそんなことを思い出してもいいじゃない

 昨日は勢いに任せ、情けない記事を書いてしまった。しかも今週のお題に乗せて。

msne.hateblo.jp


 まあそんなこともあるだろう。気を取り直して今日も出社した。
 私が暮らす街は新潟である。
 関東では今日、強烈な台風が襲い、甚大な被害をもたらしていた。台風の威力は凄まじかったが、規模は小さく、新潟にはほとんど影響がない。少し雨が降った程度だった。
 雨風以外の影響として、台風が近づく度に気温が高くなる。フェーン現象というもので、台風が近づくと誰もが口をそろえて「フェーン現象だ」と話すのだ。
 気温は35度を超え、外出が困難になる。しかしやはり季節は秋ということで、夕方になると少しは風が吹く。また日が暮れるのも早いため、強い日差しに照らされ続けることはない。
 私は暑さが苦手なため、夏が終わってよかったと思う。


 さて、月曜日から真面目に働いているわけだが、私自身勤労意欲というものはない。会社に貢献しようとも思っていないし、会社が好きではない。
 先日のBBQでそのことを強く実感したため、とりあえず働いてはいるものの、気持ちは明後日の方向を向いている。


 売るためのモノづくりにせっせと勤しんではいるが、低賃金で働いている上、将来の不安もあり、消費に対して消極的である。
 作ったものはどんどん売れていけばいいとは思うが私自身モノを買わない生活をしているため、矛盾を抱えていることになる。自分は買わないのに人に買わせるのか、ということである。
 言ってしまえば、金を持っている人間がどんどん消費してくれたらいいのだ。私達貧困層は一切消費をせず、消費は金持ちに任せる。いや、そうせざるを得ない。
 増税前にモノを買い込むということもしない。「増税したら今よりもモノが買えなくなるね」というだけで終わりである。


 会社に対しても消費に対してもそんな気持ちであるため、モチベーションを維持するのが難しい。ただただ年月とともに劣化していく家と車と自分の体を維持するために働くのみである。
 それでも十分な動機となるだろう。最低限ちゃんと働く意志となり、眠くて起きるのが難しい月曜日でも私を出社させたのだから。


 ただ、もっとこう、気持ちよく生きることができる道はないのかと常々考えている。
 十分な収入があり、気の合う仲間がいて、誰かに監視されなくてもいいような生き方が。
 今のところこの3つは満たされていない。せいぜい2割程度だろうか。
 本当は欲しいものだってあるし、仲間が欲しいし、自由が欲しい。不満を解消したい。


 そんなことを考えてもね、虚しいだけだから、忘れて前向いて頑張ってるんだ。
 だけどたまにはそんなことを思い出してもいいじゃないか。

会社のBBQで人の輪に入れず泣きながら帰った話

 先日、会社でBBQイベントが開催され、私も参加することにした。他部署と関わりを持つ貴重な機会だと思ったからだ。
 私は別に人とコミュニケーションを持つことに抵抗はない。なのでこの日も楽しく過ごして良い思い出になる予定だった。


 予定の時間に遅刻せず集合することができた。気温は高く、猛暑日だった。
 参加メンバーの男女比は半々で、男性人はおじさんから若者まで、女性陣は20代前半の若者が大半を占めていた。
 BBQセットを組み立てたりテーブルを並べたり、せっせと準備を終えてBBQが始まるのを楽しみに待っていた。


 しかし、買い出し班の到着が妙に遅い。仕方ないのでテーブルに座り、ぐだぐだとしゃべりながら時間を過ごしていた。ここまでは別に不仲などなく、普通に打ち解けていたと思う。


 我々が準備を終えてから1時間強が経つ頃、ようやく買い出し班が戻ってきた。男女ペアで買い出しに行っており、妙に楽しそうだったのが癪に触ったが、まあ別にどうでもよかった。肉、野菜、お菓子、飲み物が続々届く。
 ここから野菜を切る作業があり、女性陣が野菜を切りに行った。女性陣が戻ってくるまで、男性陣はとりあえず肉を焼き始めていた。
 ん?焼いちゃうの?集まったら一斉に始めるんじゃないの?
 BBQの作法には詳しくないので、そんなものかと思い、眺めていた。


 気温は高く待っている間に汗をかいたので、とりあえず飲み物を……と、飲み物を漁ったが、ビールは用意されていても私が期待していたノンアルビールはなく、しかたなく甘いジュースを手に取ることにした。
 車で来るのにビールなんか飲むわけがないのに、この時点で「気にされていないんだな」と思ってしまう。結局酒飲みの会だったらしい。気分だけでも盛り上げるのにノンアルは重要なので、一応事前にリクエストもしたのだけど。


 しばらくすると肉が焼け、皿に盛られ始めた。全員揃ってから食べ始めるのだろうと思っていた。しかし、続々と肉に群がる男達。「冷めちゃうと美味しくないよ」って、うん。そうだよね。焼いちゃったらすぐ食べたいよね……。
 たぶん私はこの時点で挫けてしまったのだと思う。ぐだぐだと始めて、全員揃う前に焼いて食べて、ビールも二缶は空いていて、……私が気にしすぎなのだとは思うが、どうにも気にかかってしまう。


 野菜を切り終えた女性陣が戻ってくる。野菜の量も相当多かったらしい。どっさりテーブルに置かれた。
 「じゃあ始めますか。皆さん飲み物を持ってください」
 いやもう始めてるし、飲み物も半分減ってるし。
 それからぐだぐだと長い挨拶があり、乾杯の合図があった。


 早速肉が再び焼かれ始め、野菜を切っていた女性陣中心に肉が配られていった。そうだよね、労働してたもんね。肉も焼いてない私は遠慮し、一人でジュースを飲んでいた。会場準備は一応したのだけど。完全にひとりぼっちである。


 結局他部署のやつらだし、私と仲の良い人はいないのだ。
 いやそもそも会社に仲良しはいない。唯一いた仲良しの同期はセクハラパワハラを苦に辞めてしまっていた。
 「社員同士が仲の良い会社」なんて嘘っぱちだ。そりゃ多くの人がいる会社なんだから同種族同士で固まってしまうだろう。それ以外の仲間とは果たして仲が良いと言えるだろうか。


 音楽好きな人は音楽好きな人同士で音楽談義をし、アニメ好きな人はアニメ好きな人同士でアニメ談義をしている。いつもの光景だった。


 もう、だめだ。私はこの輪の中に入れない。待ち疲れたし暑さで疲れたし気疲れしたし、スタミナが切れた。
 肉を焼く男は女性優先で焼くため、遠慮しがちな私の元へは肉がこない。取りに行くのももう疲れたんだ。会話したくないんだ。笑顔ももう無理だ。私はこの場所にいるべきじゃなかった。


 その後、ずっとスマホをいじり倒して時が過ぎていった。周りをシャットアウトし、一人の時間を過ごした。
 それはとても居心地が悪く、つまらなかった。だけど仲良しで固まってる輪の中に入っていく元気はもうなかった。疲れ果てていた。
 「食べないんですか?」と女の子から言われたが「いい、いい」と拒否した。この日肉の一切れも口に入れていない。
 結局夕方過ぎまで続く気配だったので、幹事にサッと挨拶をして帰ることにした。幹事には謝られたけど、別に気にしていない。


 輪の中に入っていければよかったんだよな。でもな、馴染めないんだよ。やっぱり一人が性に合うのか。


 いろんなことを考えていたらとってもとっても悲しくなり、帰りに運転しながら涙が流れてきた。大粒の涙が頬を伝う。もういい大人が、まさか友達ができなくて泣くなんて。
 運転中に前が見えなくなるのは危ないので、必死に涙をこらえる。楽しみにしていたのに、こんな日になるなんて。


 仲良しができれば本当はよかったけど、あんな態度取ったからもう無理だ。誰とも話さずスマホポチポチなんてしてたし。最低だ。


 もうしばらく楽しそうな会からは身を引こう。会社の仲間なんて薄っぺらい関係もばっさり断とう。どうせ同類同士でしか集まらないのだから。
 一人が一番。孤独最高。
 何が正しいのかわからないけど、とりあえず涙流しながら孤独に生きようと決めた夏の終わりだった。


今週のお題「夏を振り返る」

好きなことを追求するのに過去と未来は関係ない

 生きていると気持ちは揺れ動き、昨日と今日では全く考えていることが違うことがあるのではないだろうか。
 私は、ついさっきまで明るく積極的に物事に取り組む気分だったのに、突然やる気をなくし、だらだらしてしまうことがある。可能性を諦めて凡庸な人間を目指すことも、気まぐれに好きなことを追求したくなることもある。


 私はどちらかといえば凡庸な人間であるため、好きなことを追求したくなることは珍しい。
 小さい頃から、やりたいことをしてこない人生だった。小学生の頃はサッカークラブに所属したかったが、気恥ずかしくてやめ、何にも所属することはなかった。その時にサッカークラブに所属する選択をしていれば、人生は少し変わっていたかもしれない。
 他に、親に強制されて何かをすることが多く、自分の人生を自分で決める力は削られていったのだと思う。
 それは言い訳となるかもしれない。やりたいことをやらない言い訳を自分でしているのだ、と。
 しかし、子どもにどれだけ親に立ち向かう力があるというのだろうか。子どもの頃は従順であることこそ生きる術であり、そういう意味では、私は良く生きてきた。


 そして30代を目前とした今、これから何者かに成るのは、現実的に不可能だ。せいぜい今勤めている会社に居座り続け、それなりのポジションを確立するかどうかだろう(最も自己防衛的に立場を維持する程度の気持ちしか持ち合わせていないのだが)。
 子どもをこんなふうな大人に育てるには、とにかく子どもに物事を強要することだ。それも悪いことではなく、世間的に良いとされていることを強いるのだ。良いことを強いることで、子どもは自分自身を納得させやすくなり、教育が行き届くだろう。


 さて、こんな大人になってしまい、ほとんどの可能性を諦めた今でも、私は気まぐれに自分の好きなことを追求しようとしている。
 何者かに成るためではない。何せもう遅すぎるのだから。
 だけど、何もしないで生きていくのは寂しい。せめて心が反応するものに対して触れていたいものである。
 小説、カメラ、ガジェット、仮面ライダー、怪談、都市伝説、どれも好きで、どれも初心者だ。知識も経験も浅いため、ブログで語れることはほとんどない。「こんなことに夢中になっても無意味だ」なんて、どこか自分に対して冷めた気持ちで生きてきたため、その道を歩み始めること自体してこなかった。
 しかし大人になった今、これまで遠くから眺めているだけだったものを追求していくのは、楽しく刺激的だ。色んなことを諦めてきた人生なので、その逆の、誰に言われるでもなく気まぐれに好きなことをすること自体が楽しく感じるのだ。


 何に成るわけじゃないかもしれないが、それでいいのだと思う。
 自分にとっての過去と未来は、今この瞬間にしか存在しない想像だけのものだという。
 だから今この瞬間を楽しむべしというわけである。ちゃんちゃん。