会社員が書く雑記

雑記中心。気ままに書いてくよ

スマホで暇潰ししてたら手がイラムズなのでデジタルデトックスを

 仕事が減った、外出自粛、暇。で?何するの?って話。


 ひたすらスマホをいじって外の情報を仕入れることを暇つぶしとしていたけど、それを続けているとだんだん手の感覚がおかしくなってきた。
 手がむずむずするというか、物を大人しく持っていられない感じだ。
 気持ちの面で塞いでいたかと思いきや、身体面でも影響が出てくるのか。


 デジタルデトックスという言葉がある。
 一定期間スマホやパソコンを手放すことで、本来するべきことに目が向けられるという素晴らしい取り組みである。
 私の場合ブログを書くことも息抜きの一つなので、とりあえずスマホを置いてみることに取り組んでいる。


 スマホって楽しいし時間が無限に潰せるから、それが目的ならこれ以上のものはないんだけど、スマホを持っている手がイライラしてきたんだからもうできないよ。
 気持ちではスマホをいじりたいんだけど、手が拒否しているんだもん。それ以外のことを探さないと手のむずむずで気が狂いそうだ。


 最近はひたすら『あつまれ どうぶつの森』(通称あつ森、どう森ぶつ森)に取り組んでいる。平日は30分~1時間、休日はやれるだけ、じっくりプレイしている。
 ニンテンドーは良い時期にこのソフトを出したなと感じる。
 妻ともソフトを共有しているが、外出が好きな妻も外出を忘れひたすらゲームをプレイしているのだ。ショッピングセンターへ足を運ぶ機会も無事減った。


 このソフトは大雑把に説明すると主人公=自分の分身がたぬきの商人が提供する無人島移住プランを利用し、無人島に住み島を開拓するという内容で、島に店が増える等発展するとともに住民(どうぶつ)が増え、自分の思うままに生活できることが魅力のゲームだ。
 ゲーム内の時間の流れは現実世界とリンクしており、現実世界と同様の日時、季節、イベントが楽しめる。


 現実世界で外出やイベントの自粛が促されていると、季節の流れを感じることが少なくなっている。
 昨日4月1日、いつも通りどう森をプレイすると、私が住む島は、植えられている広葉樹が桜色に変わり、桜の花びらがふわふわと舞う、春の季節が訪れていた。
 別に外に出ないわけじゃないのだけど「ああ、春になったのか」とゲーム内でようやく実感するという事象が起きた。


 スマホ以外のデジタルデトックス全然していないけど、まあゲームも楽しいよな。
 あと、普段の生活を丁寧に送ることも大切だと思う。普段手の届かない場所を掃除するとか、新しい料理のレシピを試してみるとか、やってみると結構楽しい。
 こんなご時世だし、うまいことやっていくのは個人の力量なので、創造性を発揮しましょう。(適当)

新入社員とかw

 今日は入社式だった。都会派ぶってるけど田舎の弊社ではコロナウイルスの影響もなく、新入社員を迎えることができた。


 愛社精神の希薄な私はガチのマジで何も思うことがなく、明るい表情をした新入社員と、それを温かく迎え入れる社員を傍目に見ていた。
 後輩ができることが嬉しい人、新しい風を感じる人、教育方針を考えなければならないと頭を悩ます人。結局のところ皆嬉しいのだ。


 私個人としては、そんな彼らを見て、素直に同じ気持ちで喜べずにいた。
 だってうちの部署には新人が入ってこないし、私個人としても彼らと関係を築くことはないだろう。
 ただうちの部署にも研修にだけはくるとか言うから、どうやって時間を潰すかに頭を悩ませている。


 たしかに自分が入社した頃のことは思い出したよ。やる気に満ちていて、未知のことばかりで不安いっぱいだったけどそれ以上に希望があった。
 だけど「今の自分の働き方はどうだろうか」なんて考えるきっかけにはならない。それだけ会社に対する鬱憤が溜まっており、それでも十分に働いているからだ。


 どうせ褒められもしない、誰も見ちゃくれない末端社員である。会社内の交友関係も断絶されているため、何一つ楽しみがない。
 毎日会社にきて仕事をこなしているだけでもう十分だろう。
 それ以上の貢献は、私の心が許さない。


 私の部署の新人研修が私に任されそうであるが、こんな状態の私に何ができるというのだろうか。
 皆が皆お偉いさんみたく目を輝かせているわけではないのだ。
 新人なんてどうでもいいから、まずは自分の会社員生活の見直しをしたい。


 ひねくれている自分が好きじゃないので、尚更である。

生きてる、今日も生きてる

 毎日何もなくてもただ生きている、たったそれだけでも十分に重みを感じる。
 我が県もコロナウイルスの感染が確認され、私の住む区のお隣にまで広がった。重症化した例もあり、常に気が抜けない状況である。


 これまで単純に暇で退屈だった会社も、さらに何もなくなってしまった。製造業であるため在宅ワークは考えられず、とにかく出勤しなければ始まらない。
 いっそのこともう隔日出勤にしても支障がないくらいなのだが、そこまではできないようだ。
 近所の大きな会社では派遣社員がバッサリと切られているとの情報も入った。


 仕事に精をだすこともなければ、旅行やショッピングでさえ怖いので日常生活においても楽しさを感じられない。私はインドアなので大した影響はないが、妻の方は外出が生き甲斐のようなものなので、休日がつまらなさそうである。


 もうこうなったら、生きているだけで十分だ。
 仕事のやりがいは追い求められない、人の集まる場所には行けない。それを生き甲斐にしていた人の数はどれだけいるだろうか。


 そんなことは今やらなくていいんだ。
 スマホを持ってるなら、いくらでも楽しいことは探せるだろう。
 映画を観たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、YouTube見たりしていようじゃないか。


 インドアな気質をもった人に有利な環境であるが、これまでアウトドアな気質をもった人がかっこよかったんだから、たまには交代しろよ。
 ゲーム楽しいだろ。どうぶつの森買いました?


 1ヶ月以上更新空いてしまったが、久しぶりの更新が「ひきこもろう」で締めるのも悪くないでしょう。こんなご時世ですし。

焦って起こした行動にどんな価値があっただろう

 私は今も昔も焦りながら生きている。
 それほどでもない能力と、贅沢のできない収入と、鬱とかパニック発作とかを足枷として全く動けない自分と、長いこと付き合ってきた。
 今思えば、だ。大学在学中に心療内科メンタルクリニックに通っていればよかった。望むならいくらでもぬるま湯に浸かれる環境だったので、療養にはもってこいだっただろう。
 だがその判断はできずに、無理をして過ごしていた。


 成績優秀で異性関係も上々な所謂リア充になりたかった。
 もちろんやっていたことは講義をサボりアパートの部屋で一人自慰に耽る、外との関係を断つようなことだ。その頃教養科目で履修した文学をきっかけに本等も読んだが、気力も少なかったため本の虫にまではなれなかった。
 当時流行り始めていた動画サイトへの投稿もしたが、長続きせず終いには「投稿者失踪シリーズ」タグが付けられてしまった。今は非公開である。


 何かを成すことでアイデンティティを得たかったのだと思う。それさえ得られたら自信がつき、メンタルも強く生まれ変わるのだと思っていたのかもしれない。
 全ては後になって分かることなので何とも言えないのだ。あの頃はそれで精一杯だった。虚勢を張ることに心血を注いでいた。


 あの頃の自分にはとにかく自信がなかったわけだけど、自信の無さ故に非リア充になってしまったのだとは思わない。
 自信がなくとも勉学に勤しむことはできるだろう。むしろ自信がないからこそ熱心に取り組むことだって考えられる。
 もしかすると「真面目である」と評価を受け、現実的な異性と交際できたかもしれない。


 やはり「焦りは禁物」なのだ。
 気持ちが焦っていたから、あの時「一旦休憩する」という選択肢を排除し、突発的に動画投稿を始めたのだ。
 別に動画を作ることが大して好きなわけじゃなかったし、大学入学用に購入したチープなノートPCで動画制作には適しておらず、長続きする理由がなかった。


 精神面、身体面、金銭面にトラブルが起きると、気持ちが焦りやすくなり、将来に対して悲観的なイメージを抱いてしまいがちである。
 私の場合、現在金銭面が非常に不安である。この稼ぎだと車も買い替えられないし家も建て替えられない。子どもができたら良い学校に通わせたいけど、ほぼ確実に地元の公立校である。
 転職や副業も視野に入れている。視野には入れているが、まあ今は保留である。
 仕事にも慣れており安定している状態なので、この環境は大事である。収入が少ないとはいえ転職で給料が上がる保証もない。住んでいる場所が地方なので、給料なぞどこも似たり寄ったりである。


 現状に不満だらけでも、焦ってはいけない。
 もし転職して収入が上がったとしても、落ち着いて働ける環境は確実に失われてしまう。
 転職自体を否定しているのではなく、焦りから生まれる行動はあまり良い結果を生まないのでは、ということである。


 一呼吸置いて、長い目で見たら効果的なことに取り組むことこそ今すぐやった方がいいのではないかと思った次第である。

生きているから生きる、死んだら死ぬ

 最近YouTubeにてペットの動画をよく見る。犬とか猫とか、たまにシマリスやインコ、オウム。
 私の実家にも大人しくて臆病で頑固な老犬チワワがおり、実家に寄る度に可愛がっている。


 YouTubeで動画を見ているとき、コメント欄を眺めることがある。私はコメントを残すことはしないが、人にコメントを読むのは好きだ。
 ペットの動画を見ていると「もう亡くなったけど飼っていた子を思い出す」というコメントを見かけた。動画の子と飼っていた子が少し似ていたようである。


 ペットロス症候群という言葉がある。ペットが死亡、行方不明、盗難に遭ったとき、飼い主に起きる可能性がある精神疾患だ。
 やはり自分の世界からペットの存在が失われてしまうのはひどく寂しいことなのだろう。
 私の場合は、チワワはまだ生きており、ペットを失う悲しみはこの先訪れてしまうのだろう。


 たしかにその感情は悲しみ以外の何物でもない。きっと泣くし、喪失感に立ちすくんでしまうだろう。実家を出る前は相棒のように可愛がっていたし、今も気持ちに変わりはないのだから。
 だけど、彼らは立派に生きた証を残せている。
 飼い主の心にしっかりと傷跡を残すのだ。YouTubeに残されたコメントのように。私がこの先味わうであろう悲しみは、紛れもなくチワワの仕業なのだ。
 生き物には必ず死は訪れるのだけど、自分のペットが私や家族の心に生きた証である傷跡をしっかりと残すことは、単純に誇らしく思う。


 彼らペット達は何を思って生きているのか、とたまに考える。
 エサをもらい、散歩に行き、撫でれらたり抱っこされたりして喜び、たまにイタズラを仕掛けて叱られる。
 私は彼らがそこにいてくれるだけで嬉しいのだけど、彼らはどうなのだろう。


 ……まあ、私だって私自身何を思って生きているのかわからない。
 生きる目的もはっきりしていないし、死にたいわけじゃないけど、何かを成し遂げるために生きているわけじゃない。
 死んだら悲しい、というだけだ。周りも悲しむし、周りが悲しむなら私も悲しい。
 せめて精一杯生きたという証が残せたら、とは思う。


 案外人間もペットも大して変わらないのかもしれない。
 生きているから生きる。死んだら死ぬ。
 ひとりぼっちじゃ寂しいからみんなで生きる。ごはんを食べて、散歩に行き、触れ合って喜び、たまにイタズラを仕掛けて叱られる。


 じゃあひとりで生きている人は?


 ひとりで生きている人とは遭遇し得ないので、ひとまず考えるのを止める。
 まあ、生きることが尚更大変になるんじゃないかなあ。知らんけど。(思考停止)


P.S. うちの子かわいかろう
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鬱だったとはいえそろそろ頭を働かせてみてはいかがか

 人はどれくらい頭を働かせながら生活をしているのだろう。


 私は極力ぼけーっとしながら生きていたのだが、もしかするともっと頭を働かせて生活を送らないと損なのではないか。
 そんなふうに思ったのは、金曜ロードショーカイジを見て、電子書籍カイジを読み、駆け引きの熱に当てられたからだろう。
 勝負の一瞬に、頭を働かせず勝てた人間はいない。


 ぼさーっと生きてのらくら会社員をしている自分は、何かに勝っているのか。転がっている機会に気付かず見逃しながら生きているだけなのではないか。
 勝利、勝利と声高に叫ぶような真似がしたいわけではない。だけど、もし損ばかり被っているのであれば、即刻そんな生き方はやめたいのだ。


 みんなはどれくらい物事を考えて生きているのだろう。
 ここにきて他人の様子が気になるのはいかにも小心者らしい思考である。母に「他所は他所、うちはうち」と言われながら育ったのに、30歳にもなる現在、また他所を気にしているのだ。
 まあたぶん私の様にぼけーっと生きている人間もいるし、バチバチに考え考え考え抜いて生きている人間もいるだろう。そんなことはわかっている。


 まだ私は自分を大事に大事に甘やかすつもりらしい。
 鬱の気があるため、ストレスを抱えると爆発するのではないかと、慎重なのだ。
 精神に負荷がかかることが心配なのだ。
 鬱はそれだけ引きずりやすいということなのだけど、これでは牙を抜かれたわんちゃんである。


 そうだ、せっかく手帳を引っ張り出したのだから、こいつを相棒にしようじゃないか。
 考えた事を常に自分の頭の中に抱えすぎるから負担なのだ。一旦文字に落とせば荷は下りるし改めて吟味もできるはず。
 そういえばこの間手帳を引っ張り出してから何かしら書いていたのだけど、なんとなく頭が軽くなった気がする。
 仕事のことで悩みながら朝目覚めることは減った。


 もちろん手帳が全てを救うなんて極端な思考はよした方が良い。
 だけど精神の負担を減らす一つの手段としては上等なようだ。


 鬱を引き起こしてから、あまり考え過ぎないようにぼけーっと生きてきたけど、そろそろ思考を磨いてもいいんじゃないかという気になってきた。
 日常を惰性で生きていれば難易度の高いことは高いままで、簡単なことしかできなくなる。
 私は未だに初めてのお店に入るのが苦手で、妻と出掛けているとき、妻を先に行かせようとしてしまう情けない癖がある。
 妻も先に入るのは抵抗があるようで、そのことについてよく苦言を呈されてしまう。


 こんなふうに思考停止と惰性で生きていると、気が付くと損をしている場合が多い。
 鬱だったとはいえ、そろそろ頭を働かせ始めた方が良いのではと思った次第である。

手帳を久しぶりに開いて整理して書き込んでみた

 仕事のことが頭から離れないから、自分が何をそんなに悩んでいるのかを認識するため、手帳に書き出してみた。
 「朝、まず資材の手配をする」
 それだけだった。思った以上に何も考えていなかった。
 にも関わらず何やら悩んでいたみたいなので、何か悩んでいたら書き出してみるのはやはり有用なようだった。


 久しぶりに手帳を開いたと思ったらその程度の用だったのだけど、せっかくだし今後も使っていきたい。
 昔書いたメモみたいなものを眺めてみたけど、別に有用なことも書いてなかったから、捨てた。システム手帳なので簡単に整理できた。
 残りページ数が少ないから新しいリフィルを差し込む必要があるが、とりあえず真っ新な手帳になった。


 私はメモ帳の類の活用が下手だ。アイデアを書き留めるとか支出をまとめるとか、始めたことはあるものの、結局今まで続いたものは何一つない。
 それなのに立派な手帳を持っているので、また三日坊主になるかもしれないが、何かしら活用できればと思う。


 手始めになんとなく思い浮かんだことを書いてみた。
 仕事が嫌い、誰々が気に食わない、時間が足りない、金がない…云々。
 いつからこんなに傲慢になったのだろう、様々な不満が噴出したわけだけど、それらに共通しているのは「自分ではどうしようもないこと」だった。


 仕事が嫌いなら転職すればいいけどそれをしていないのは、身の周りの環境や金銭面の問題が絡み、転職のリスクを思えば簡単に行動に移すことはできない。
 気に食わない人間がいるのは当然のことだし、時間なんていくらあっても足りない。
 こういうことはまあ頭の片隅に置いておいてもいいけど、いくら思い詰めたところで解決はしないだろう。


 そんなことよりも、限られた時間や金をいかにうまく回せるかを考えた方がきっと良い。
 金や時間の使い方、人との関わり方、睡眠時間をいかに確保するか等々。
 自由は少ないが、その中でできることだけ、自分でコントロール可能なものにだけに目を向けて、誠心誠意集中すればいいのだ。


 そんなことを自分に言い聞かせるように手帳に書いていた。何か変わるのかしら。


 ローランド様もメモ帳を持ち歩いているし、私もとりあえず持ち歩いてメモしまくってみようと思う。